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僕は「渋谷アートギャラリー246」を小川てつオ氏を通して初めて知った時、最初に感じた事は、何とも言えない「薄気味の悪さ」でした。 恐らくここに携わった方々は本当に「良い事」を「善意」を持って、笑顔で一生懸命やっているのだろう。行政も学校も大企業も「地域」と呼ばれる人たちも、みんな力を合わせて一緒になって街づくりをしているのだろう。 さわやかな笑顔で精一杯善行をしているのだろう。 ……、そして野宿している人たちがかき消されている。まったくすっぽりと消えている。人間の存在が消されている。 「アートの名に於いて」。 最初、なんだか言葉が見つからなかった。 僕は野宿者の肩を持ちたい、とかそういうことではない。グラフィティーを援護したい、とかそういうことではない。 何かとても見えにくい、言葉にしづらい、「薄気味の悪さ」を感じたのだった。 なぜ僕は薄気味悪く感じたのだろう? それが知りたかった。それが、このことを考える最初の動機でした。 そして、初めて現場に行った時、「薄気味の悪さ」が「憤り」に変わった。それは以下の張り紙が壁画の上に貼られていたからである。 「渋谷アートギャラリー246」滞在者各位 これはどう考えても「ここはギャラリーになったから、出てって」ってことである。 突然、ストリートがギャラリーになる。それ自体は楽しい事だと思う。突然、ストリートがライブ会場になったって楽しい。その場合は、誰でもウェルカム、ってことだから。 しかし、突然「ここはギャラリーの一部です。」ってどういうことだろうって唖然とした。 これは明らかに「排除」である。「排除」の道具としてアートが使われてしまってると考えざるを得ない。 アートとは矛盾を抱えるものである。矛盾そのものがアートかも知れない。ただ、その場合、「矛盾」をほんの少しでも認識している必要性が制作者にはあると思う。 ところが、ここを「渋谷アートギャラリー246」としてしまい、壁画でグラフィティーを塗りつぶしてしまい、野宿者を排除してしまう、といった矛盾や暴力を認識しているのかどうかすら分からない。 この見えにくさ、言葉にしづらさ、を今考えないと殺されると思った。 何をしたらよいのだろうか? そして何を以てこの246表現者会議の〆としたらよいのだろう? 何も明確ではないまま、とにかくいろんな人と話し合い、感想や意見を聞きたいと思った。 いまのところノーアイデアだけど、その様をアーカイブして行こうと思った。ドキュメントして行こうと思った。それが今のところ僕に出来得る唯一の「表現・アート」かも知れない。 戸惑い、迷い、考えながら歩き、そして作って行こうと思っています。 (2007年12月28日記述) 246表現者会議発起人・武盾一郎
by 246kaigi
| 2007-11-21 20:00
| 発足の挨拶
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